【追悼】ムツゴロウさん逝去、動物に捧げた波乱の生涯と遺された言葉
ムツゴロウ さん 死去の報せが日本中を駆け巡った瞬間、多くの脳裏をよぎったのは、獰猛なヒグマやライオンの懐へ無防備に飛び込み、指を噛まれ血を流しながらも屈託なく笑っていた、あの唯一無二の姿だったはずだ。作家であり動物研究家として昭和から平成、令和の時代を駆け抜けた「ムツゴロウさん」こと畑正憲(はた・まさのり)氏。人間と野生生物の間に引かれた不可侵の境界線を情熱一つで無効化し続けた怪物が、87年の波乱に満ちた旅路を終えた。
高度経済成長期からテレビ黄金期に至るまで、メディアの枠組みすら塗り替えてきた希代の表現者。今回のムツゴロウ さん 死去に際し、日本中から哀悼の声が寄せられるとともに、彼が晩年に辿り着いた境地や遺されたメッセージ、そして生命そのものへ向けた剥き出しの哲学に改めて強い関心が集まっている。
北海道の原野から始まった伝説:「ムツゴロウ動物王国」が変えた日本の動物観
畑正憲という男の出発点は、テレビタレントではない。東京大学理学部で動物学を専攻し、学習研究社(学研)の映画部で記録映画の制作に携わった生粋の科学徒であり、卓越した文章力で日本エッセイスト・クラブ賞や菊池寛賞を受賞した一流のノンフィクション文学の旗手だった。
1971年、彼は安定した東京での生活をあっさりと捨て去る。妻と幼い娘を連れ、北海道の無人島・嶮暮帰島(けんぼっきとう)へ移住。電気も水道もない極寒の地で、ヒグマの「どんぐり」や馬、犬たちと寝食を共にする原始的な暮らしを始めた。これが後に浜中町へと拠点を移し、世界的な知名度を得ることになる「ムツゴロウ動物王国」の夜明けである。
当時の日本において、ペットは「外で飼う番犬」や「ネズミ捕りの猫」に過ぎなかった。野生動物は動物園の檻の向こうにいる見世物だった。そこに現れた畑氏は、猛獣を抱きしめ、顔を舐めさせ、同じ目線で語り合ってみせた。それは生態学のセオリーを無視した狂気の沙汰と批判されつつも、人々に「彼らにも心と感情がある」という決定的な事実を突きつけたのだった。
茶の間を熱狂させた『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』と『子猫物語』の金字塔
1980年代、フジテレビジョンが放映を開始した特別番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』は、最高視聴率30%超を叩き出す国民的オバケ番組となった。南米のアナコンダ、アフリカのゾウ、アラスカのオオカミ。世界のあらゆる猛獣とスキンシップを交わす「よーし、よしよし」のフレーズは、日本中のお茶の間を釘付けにした。
1986年には監督を務めた映画『子猫物語』が公開される。チャトランとプー助の冒険を描いたこの作品は、当時の邦画配給収入記録を更新する大ヒットを記録。アメリカをはじめ世界各国でも公開され、国際的な評価を獲得した。日本のテレビ・出版業界において、野生動物や自然をエンターテインメントの主役に押し上げた功績は、すべて畑氏の手腕によるものだ。
だが、その裏には徹底した観察眼と、いつ命を落としてもおかしくない極限の緊張感があった。指を噛みちぎられてもカメラの前で平然と撮影を続けた伝説的なエピソードは、単なる蛮勇ではない。動物の生態を完璧に理解し、恐怖心を完全に制御した者だけが到達できるプロフェッショナリズムの結晶だった。
多才すぎた怪物の素顔:日本プロ麻雀連盟初代十段位と縦横無尽の知性
ムツゴロウさんの実像を「動物好きの優しいおじさん」とだけ捉えるのは、この人物のスケールを見誤る。彼の本質は、底知れない好奇心と狂気を宿した超人的な知性体だった。
文壇での活躍にとどまらず、勝負師としての顔も伝説的だ。麻雀界においては日本プロ麻雀連盟の設立に尽力し、最高顧問に就任。同連盟の最高峰タイトルである「十段位」の初代および第2期・第3期・第4期を獲得するなど、圧倒的な強さを誇った。論理的思考と直感を極限まで研ぎ澄ます麻雀の闘牌スタイルは、猛獣の心理を読み切る彼の観察眼と完全に地続きだったと言える。
絵画、彫刻、競馬、純文学。興味を持った領域にはすべて飛び込み、常人の何倍もの速度でマスターしていく。睡眠時間は1日2時間。起きている時間はすべて思考と執筆、そして動物との対話に注がれた。まさに知性の怪物が、たまたまその最大の情熱を動物に傾けていたに過ぎない。
知られざる晩年の生活と遺された最後のメッセージ:独自の「動物共生論」の全貌
東京進出に伴う巨額の負債や動物王国の解散など、晩年は決して平坦な道ばかりではなかった。しかし、畑氏は一切の言い訳をせず、借金を自らの著作と講演で完済。北海道の中標津町に居を構え、最期まで愛犬や愛猫たちと静謐な日々を過ごしていた。
晩年の彼が繰り返し語っていたのは、「人間が動物を支配してはならない」「愛玩として消費するな」という警鐘だった。世間がペットを擬人化し、都合の良い癒やしの道具として愛でる風潮に対し、ムツゴロウさんの共生論はどこまでも冷徹で、かつ深遠だった。
「動物を愛するとは、彼らの残酷さも、汚さも、野生の牙も丸ごと受け入れることだ」
ベッドの枕元には常に原稿用紙と万年筆が置かれ、心筋梗塞で倒れた後も、ペースメーカーを胸に入れながら新作小説の執筆を続けていた。遺された最後のメッセージは、人間中心主義に陥った現代社会への強烈な問いかけであり、命あるものすべてに対する無償の敬意そのものだった。
配信時代に再評価される映像遺産:FOD、Prime Video、YouTubeで生き続ける命の記録
時代がテレビからインターネットへと移行しても、ムツゴロウさんの放つ引力は衰えなかった。80代半ばにして開設した公式YouTubeチャンネルでは、過去の危険な撮影の裏話や動物たちの知られざる生態を飄々と語り、若い世代のリスナーを驚嘆させた。
現在、彼の遺したネイチャードキュメンタリーや過去の名作番組は、FOD(フジテレビオンデマンド)やAmazon Prime Videoなどの動画配信プラットフォームで再配信され、リアルタイム世代のみならずZ世代の間でも再評価の波が起きている。
CGやフェイク動画が溢れるデジタル空間において、生身の人間がライオンに首筋を差し出し、ヒグマと泥まみれになって取っ組み合う映像は、加工の利かない「生命の実相」として圧倒的なリアリティを放つ。彼が命がけで遺したフィルムは、今なお色褪せない知的遺産として息づいている。
「ただ、愛して、信じた」——ムツゴロウさんが遺した未来への宿題
畑正憲という巨星が去った今、私たちは改めて「動物と生きる」ことの意味を考え直さなければならない。彼は決して奇跡の魔法使いだったわけではない。膨大な勉強と観察、そして命を差し出す覚悟によって、異種間のコミュニケーションを成立させていただけだ。
「相手の目を見れば、すべてがわかる。怖がれば噛まれる。信じて飛び込めば、心は通じる」
彼が原野に遺した足跡は、あまりにも巨大で、誰も真似することはできない。だが、彼が身をもって示した「生命への無条件の敬意」は、分断が進む現代の人間社会にこそ必要な哲学ではないだろうか。大自然の懐へと還っていった怪物の魂に、心からの拍手と哀悼を捧げたい。 (出典: ムツゴロウ さん 死去(Yahoo!ニュース))