「現代の徳川家斉」か、それとも時代の歪みか? 令和の「一夫多妻生活」が問う日本の家族観
渡部 竜太という男性の存在を知ったとき、多くの人は一瞬、耳を疑うかもしれない。北海道札幌市で複数の女性と同居し、いわゆる「一夫多妻」のライフスタイルを公表してSNSや各種メディアで大きな物議を醸している人物だ。自身は定職に就かず、生活費の大部分を同居する女性たちに依存しながら、「徳川家斉を超える54人の子どもを作る」と豪語する。その独特すぎる生き方は、バラエティ番組やネットニュースで取り上げられるたびに、炎上と注目の渦を生み出し続けている。
世間の視線は厳しい。当然だろう。「女性を利用しているだけではないか」「子どもの将来はどうするのか」といった批判の嵐が吹き荒れる。しかし、単なる一発ネタや奇行として笑い飛ばせない不気味なリアリティが、この事例には潜んでいる。未婚率の上昇や多様な生き方が叫ばれる一方で、固定化された結婚制度に行き詰まりを感じる現代人にとって、渡部 竜太氏が提示する特異なコミュニティの形は、否応なく「家族とは何か」という問いを突きつけてくるからだ。
「働かない夫」と「複数の妻」——札幌で展開される常識外れの日常
札幌市内の住宅街。表札には複数の姓が並ぶわけではないが、その扉の奥では異質な日常が営まれている。渡部氏と同居するのは、それぞれ異なる背景を持つ複数の女性たちだ。彼女たちは交代で家事や育児をこなし、外で働いて得た収入を家庭の共通財布へと納める。驚くべきことに、渡部氏自身は働いていない。
朝起きれば、誰かが淹れたコーヒーがテーブルに置かれている。日中は子どもの面倒を見たり、自身の動画配信を行ったりして過ごす。一見すると究極の「ヒモ生活」にも思えるが、当人たちの間では明確な合意が成り立っているという。互いの嫉妬心や葛藤が皆無なわけではない。だが、それを上回る「共有の価値観」が、この奇妙な共同体を維持させる原動力になっているというのだ。
法制度の壁と「事実婚」のリアル:日本の法律はどう見ているのか
日本の民法において、重婚は明確に禁止されている。法的な婚姻届を複数の相手と同時に提出することは不可能だ。では、彼の生活は違法なのだろうか。結論から言えば、現行法では法的婚姻関係を結ぶのは1人(あるいは未婚のまま)にとどめ、残る女性たちとは「重婚的事実婚」という形態をとっているため、直ちに刑事罰の対象となるわけではない。
法的な保護を受けられないリスクは大きい。相続権の問題、税制上の優遇措置、病気や事故の際における病院での手続きなど、法的配偶者でなければ直面する障壁は山ほどある。にもかかわらず、彼女たちが法的な「妻」の座に固執しない姿勢を見せる点は、従来の法制度が前提としてきた「単一家族」の枠組みに対する静かな問い直しとも取れる。
「徳川家斉を超える」という野望:子ども54人計画の真相
彼が繰り返し口にする目標がある。江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉だ。家斉は生涯で50人以上の子どもをもうけたことで知られるが、渡部氏は「54人の子どもを作って歴史に名を刻む」と本気で語る。現時点で複数の子どもが誕生しており、それぞれの女性との間に新しい命が育まれている。
SNS上では「子どもの養育費はどうするのか」「将来、子どもが学校で肩身の狭い思いをするのではないか」という懸念が絶えない。経済的な裏付けのないまま子どもの数を増やすことに対する倫理的批判は当然の反応だ。しかし当人は、「子どもたちは大勢の母親と兄弟に囲まれて幸せに育つ」と主張し、従来のカチッとした「父親像」をあざ笑うかのように持論を展開する。
なぜ女性たちは納得するのか? 共同生活を支える心理的メカニズム
多くの人が抱く最大の疑問は、「なぜ現代の女性たちがそのような生活を受け入れるのか」という点だろう。専有される愛を求めず、他の女性と1人の男性を共有することを選ぶ心理とはどのようなものか。
関係者の証言やこれまでのメディア取材を紐解くと、そこには独特の安心感や家事・育児の分担メリットが存在することが浮き彫りになる。ワンオペ育児に悩む孤立した現代の核家族とは対照的に、常に誰かが家にいて助け合える環境を肯定的に評価する声もあるのだ。渡部氏自身の圧倒的な自己肯定感と、女性たちの不安を和らげる独特のコミュニケーションが、この不思議な均衡を保っている一面も見逃せない。
少子化日本へのアンチテーゼか、単なる利己主義か
日本全体が未曾有の少子化と人口減少に喘ぐ中、彼の行動を「異端の少子化対策」と捉える極端な見方も一部には存在する。もちろん、公的な助成金や制度に頼らず、責任を他者に依存するスタイルには強い反発が伴う。
しかし、標準的な一夫一婦制と会社員モデルが崩壊しつつある現代社会において、彼の存在は強烈なカウンターとして機能している。正論だけで片付けられない歪みが、社会の片隅で芽吹いている証左かもしれない。モラルと欲望、そして個人の自由の境界線はどこにあるのか。視聴者の怒りや関心を引きつける背景には、社会そのものが抱える閉塞感が投影されている。
変わりゆく令和の家族像:一卵性ではない生き方の模索
ひとつの家族のあり方が絶対的正義とされた時代は過去のものとなった。シェアハウス生活や事実婚、事実上のポリアモリー(複数恋愛)など、人間関係のグラデーションは年々複雑さを増している。
渡部竜太という存在が投げかけた波紋は、単なるスキャンダルや炎上ネタの枠を超え、私たちが当たり前と信じ込んできた「まともな家庭」の輪郭を改めて問い直させている。今後、彼らの子どもたちが成長した時、この実験的な家庭環境がどのような答えを出すのか。倫理的な賛否は平行線をたどるだろうが、令和という時代が産み落とした異質なリアリティから、私たちは当分目を離せそうにない。 (出典: 渡部 竜太(Yahoo!ニュース))